缶詰の歴史は、19世紀初頭のナポレオン1世の時代にはじまります。外国への遠征のため、日持ちがするような食料保存の方法を公募したのがキッカケで、最初は瓶詰にして加熱殺菌したものが採用されていたということです。その後、1810年にイギリスのピーター・デュランという人がブリキを使った食料保存の方法を開発し、現在のような缶詰が作られるようになりました。塩蔵や乾燥などで食品を保存する方法は数千年前からありましたが、金属の加工や食品の加熱で殺菌するという高度な技術を必要とする缶詰は、近世になってからできた比較的新しい保存方法なのです。日本で初めて缶詰が作られたのは、明治4年に松田雅典という人が長崎に来ていたフランス人から「イワシの油漬け缶」の製造方法を教わったのが始まりと言われています。その6年後の1877年には、北海道で日本初の缶詰工場がやん上し「サケ缶」が作られたということです。以後、マグロやカニなどに加え、ミカンの缶詰なども作られるようになり、当時は重要な輸出商品となっていました。ミカンの缶詰は、大正時代に外皮を除いた丸のままのミカン2個をシロップ詰めにしたものが作られるようになり、これがやがて業務用のミカン缶詰となって現在に至っていますが、現在のようにさまざまなフルーツ缶詰が作られるようになったのは、戦後になってからのことです。給食で人気の定番デザート「白玉フルーツポンチ」は、ミカン缶にパイン缶やモモ缶など数種類のフルーツ缶を組み合わせて作られるケースが多いと思いますが、東京都杉並区の学校給食では、白玉を作る際に豆腐を加えているとのこと。白玉が食べやすくふわっとした食感になるとともに、豆腐の栄養価をうまく使った工夫がされているということです。